コーチ養成講座
苫米地式のコーチになる意味
苫米地式コーチングは、コーチングを受けることで人生が大きく動き始めます。より幸福な人生を歩めるようになると言っても良いかも知れません。なぜなら、現状の外側にゴールを設定して、24時間365日、ゴールにふさわしい心からやりたいと思うことしかやらない人生になるからです。それは、
- 自分の夢を実現したい
- 自分の能力を存分に発揮して幸せになりたい
などという思いを叶えることに繋がりますが、そこで止まってしまうと、結局、ぜんぶ自分の事です。
もちろん自分の事で精一杯だから、他人の事まで構っていられないと思う気持ちは分かります。でも一方で、私たちの住んでいるこの世界は大勢の人たちの関係性やネットワークでできているので、自分だけ幸せな世界というのは実現不可能です。
その事に気づいて、徐々に設定するゴールの抽象度が上がっていき、実現したい社会のあり方が想像できるようになってくると、中には「コーチになりたい」と思う人が出てきます。
そして苫米地式コーチングのコーチになることは、一人ひとりのコーチになろうとする思いのほかに、わたしはもっと大きな意味があるように思います。
苫米地英人博士がよく語る「100人全員が残り99人の幸せを願う世界を作ろう」という話を聞いたことがあるでしょうか。人口100人の世界があったとして、その100人全員が自分の事だけを考えて生きる世界より、100人全員が残り99人の幸せを願って行動する世界の方がどう考えても安心で安全な、幸せな世界になるという話です。
でも世界の現状は、どうでしょう。ほとんどの人が自己利益最大化を目指して、他人の事を顧みないような方向へとどんどん進んでいないでしょうか。
そのような現状をひっくり返し、世界中の人たちが幸せに生きられるはずの「100人全員が残り99人の幸せを願う世界」を実現するためのメソッドが、苫米地式コーチングなのかもしれません。
苫米地式のコーチが増え、もしくは、苫米地式のコーチングを学ぶ人が増えてくれば、きっと「100人全員が残り99人の幸せを願う世界」が実現します。
是非あなたもコーチ養成講座を受講して、世界をひっくり返す側の一員に加わってください。
苫米地式コーチングの世界観
苫米地式コーチングのコーチは世の中を中観で見ています。
ここでいう中観とは、仏教でいうところの空観、仮観、中観の中観です。苫米地式コーチングは宗教ではありませんが、コーチがどのように世界を見ているのかを分かりやすく説明するために、日本人に馴染みが深い仏教用語を借用して説明してみます。
(➡️『超悟り入門』 苫米地英人著 を参考にしています。)
空観とは、この世はすべて幻だと知ることです。
お釈迦さまが生きていた時代と違って、子どもまで含めて現代人は、目の前で起きている事がいくらリアルに見えていても、それが幻だと理解した上で、楽しむことができます。何の話かというと映画やテレビについてですが、スクリーンやテレビ画面に映ったものがどれほどリアルに思えたとしても、それが幻である、架空のものであることは子どもでも知っています。
だから同じように、この現実世界もリアルだと思っていても、実は幻かもしれない、幻とまでは言い切れないけれど、自分が理解している通りの世界とは限らないと気づくのはそう難しいことではありません。これが空観です。
でも、この世は幻だと気づくと、「この世が空(くう)なら、何をやってもいいじゃないか」「何をやっても無駄じゃないか」などと言い出す人が出て来ますが、必ずしも享楽的もしくは虚無的になる必要はありません。
なぜなら、私たち一人ひとりがその空なる世界に対して、それぞれ違った「仮の役割」を与えることができる貴重な存在だからです。
「仮の役割」については、苫米地博士がよく引き合いに出す話があります。映画館で映画を見ている3組の人たちの話です。
1組目は最近付き合い始めたばかりのカップルで、デートで映画を見に来ています。ポップコーンを二人でシェアして食べながら、映画の内容を楽しむというよりただ一緒にいるだけで楽しそうです。2組目は芸大の学生さんで卒論執筆のための研究で来ているのでメモを取りながらの鑑賞です。3組目は会社員で、夜勤明けで休息を取ろうと映画館に寝るためにやって来ました。
3組ともスクリーンで展開されている映像とストーリーは、現実世界と同じくらいリアルに見えますが、実は幻であることは理解しています。
そして、この3組自体も幻の存在なのですが、一方で、それぞれがその空なる映画の世界に、カップルは二人の仲をもっと深める触媒という役割を、学生さんは卒論の研究対象という役割を、会社員は安眠のためのBGMという役割を与えています。
空なる世界に仮ではあるけれどもそれぞれ異なる役割を持たせることができる貴重な存在という価値が生まれて来て、しかも、どの役割がより価値が高いということもなく、等しく価値のある存在という認識が生まれて来ます。これが仮観です。
私たちは社会において様々な立場や役割を担っていますが、仮観で見るとそれらはすべて仮のものであり、実際には空です。だから、立場や役割に固執して苦しくなっている時には、空だと気づけば、一旦その立場や役割を手放すという選択肢が見えてきますし、自らを輝かせる別の場所がきっとあると思えます。
一方で、この世はすべて空なのだけれど、目の前で何か困っている人がいれば役に立つような仮の役割を担おうという積極的な考えが浮かんで来ます。
このように、空観と仮観を行ったり来たりしながらこの世をフレキシブルに見る見方を中観と言います。
そして、コーチングの話に戻れば、苫米地式のコーチはこの世を中観で見て、クライアントが話す内容も中観で聞きながら、クライアントが現状の外側のゴールを目指すのをサポートしています。
現在、以下の2つのコーチ養成講座を開催しています。講座の詳細は、それぞれの受講生募集ページ等で確認してください。
